羅申 様 血の気が引く驚きでした。 私が最も敬愛する超子さんが6月3日に御逝去なさっていたとは。 「らちょうさん。らちょうさん」と、ただ両手を胸に当ててお名前を 呼ぶのみでした。 1987年鑑真号から降りて着た、背が高く、足が長い、美人の超子さんが、今もありありと目に浮かびます。 それ以来どれほど勉強したか、どれほど努力したか、またどれほど闘志を燃やして前進したか、超子さんの姿を見てよく分かっています。 思えば、超子さんが勉強しなければならないと思った時は、きっと壁にぶつかっている時で、そのような時は、超子さんから電話をいただきりました。一時間も話すことは珍しくありませんでした。 また闘志を燃やして前進しなければならないときも、電話をいただきました。超子さんは、仕事で何千万円もの収支を会社にもたらしていること、自分の熱意と誠意が日中の取引先の人々を動かしていること、それらを明るく自信をもって話して下さり、一時間後には必ず「がんばります」といって電話を切るのです。 杏奈さんが反抗期の時も、航くんが学習に身が入らない時も、そのつど、「どうすればいいですか」と電話をいただき、超子さんのわが子に対する愛情と教育を受けさせる責務の強さと大きさが、波のように打ち寄せて来ました。そのときも必ず「がんばります」といって電話を終えるのが超子さんでした。 私が胃癌の手術を受け、体力も気力も弱っている時、超子さんはどれほど私を励ましてくれたことでしょう。患者の私よりも病状に詳しく、何を食べるか、どれくらい食べるか、食べる量まで、丁寧に教えてくれ、「大丈夫ですよ。すぐに元気になりますから」と、明るく笑い飛ばして、力づけしてくれました。 私は、超子さんのように、終生恩を忘れず、心から愛情と誠意を示してくれた人を知りません。 羅申様の長いながいお手紙を、くり返しくりかえし読みました。格調高く美しい文に感銘をうけながら、超子さんへの麻薬注射のことに胸を抉られ、潔子さんがなさったこと、パスポートを手にした羅申様の涙など、たくさんの情景を思い浮かべました。 私の癌に対するお心遣いをありがとうございます。体重が10kg減り身体の皺が増えましたが、十七歳の頃のように、歩行、走行、跳躍が軽快になり、癌の転移と再発の恐れも今のところなくなりました。ご安心下さいませ。 杏奈さん、航くん、糟谷婦人には、別便で私の気持をお伝えするつもりでいます。 新年を迎えるにあたり、楊安民様、羅申様とご家族の御多幸をお祈り申し上げます。 久保卓哉 2020年12月12日 |
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